その後姿を見つめることしかできないから。
放課後の教室。
私は、一人で黙々と日番日誌をつけるという作業を続けていた。
(何で私が一人でこんなことしなきゃいけないんだろ。)
誰ともなしに怒りを感じつつ、最後の仕上げとばかりに空欄を埋めていく。
かりかりかり・・・・
シャーペンの動かす音だけが、教室の中を満たす。
それはまるで、私とあの人の距離を表わしているようだ。
私の中ではたった一人の特別な人なのに、あの人の中ではただの生徒。
私がどれだけ声を上げても、けしてあの人は気づくことはない。
なぜなら、あの人の姿すら見えていないのだから。
同じ場所に立つことすらできないのだから。
「結局、見てることしかできないのか・・・。」
「なにが”見てることしかできない”んだ。」
私の独り言に、返答のないはずの返答が返ってきた。
「っ!!!!!!」
その人物は、本当に予想外の人で。
私は本当に本当に驚いてしまって、顔を上げたままシャーペンを落として固まっていた。
当の本人はというと、いつもの態度で教室に入ってきて落としたシャーペンを拾ってくれた。
「まだ残っていたのか。」
「・・・・・氷室先生。」
私は先生が拾ってくれたシャーペンを受け取りながら、落ち着こうと必死だった。
「そういえば、今日の日番は君だったな。相手は・・・休みか。」
「あ、はい。そうなんです。だから、ちょっと仕事が溜まっちゃって。」
先生は、私の前に座りながら日番日誌を覗き込む。
今にも互いが触れ合いそうな距離に、心臓が酷く脈打つ。
「相手のせいではないと思うが。」
「も、もちろんです。」
慌てて否定する私に、先生は怪訝な表情を浮かべる。
「私、とろいんですよ。だから一度にたくさんのこととかできなくて・・・。」
本当に情けない。
情けなくて、私は俯いて日誌を書くことしかできない。
だけど先生の言葉は、想像していたものとは違った。
「本当に、その通りだな。」
「えっ・・・。」
「いつも見ているこっちがはらはらする。危なっかしくて、ついつい手を差し伸べたくなるよ、君は。」
そう独り言のように呟く先生の顔は、普通では考えられないほどやさしい表情だった。
声も今まで聞いたどれよりもやさしくて。
錯覚、しそうになった。
見たこともない先生に騙されて。
その会話の内容にも騙されて。
「できたようだな。では、気をつけて帰りなさい。」
言うと先生は、日誌を持って教室から出て行ってしまった。
「・・・・・。」
私は、と言うと。
顔を赤くしたまま、その場で固まって動けずにいた。
その後姿を見つめることしかできない。